大峰山クリスマス登山 平成17年12月4日(日)
参加者:高橋、五十嵐、小林、阿部親子、岩渕親子 7人
五十公野公園駐車場8時30分集合、昨日今日の天気予報から雨覚悟の山登りになるのかと思い、遠くの雲の切れ間に願をかけて皆さんの到着を待ち、車2台で出発。途中定例会の会場である大川原さんの御自宅の玄関先まで五十嵐さんに案内して頂き、9時頃到着(大峰山登山口の駐車場までは土砂崩れのため、手前の駐車場より登りはじめる)
雨が降りだしそうではあったが、他の登山者もまあまあ居て今度は山小屋に入れるかが心配になってきた。車両通行止めの車道を大峰山登山口まで遠足気分で足慣らし。
いよいよ登山道、ケーキを持つ手にグッと力が入り、絶対コケてはいけない、と自分に言い聞かせ慎重に足を運ぶ。「誕生日ですか?」と声をかけらることもあり、ケーキ持参の登山は目立つようである。徐々に雪も目立つようになり、案の定 子供同士の雪だまのぶつけ合いが始まる。いくつか流れ弾にも当たったので反撃してやった。
山小屋に到着し、すかさず荷物を置き、場所の確保(正直少し安心した)と同時に雨が降っていない事に気づきそれどころか日も差してきた。見晴らしも良く、東港の煙突、風力発電の風車まで意外と近いものだと思いつつ後ろを見ると、まだ紅葉しているわずかの木は日を反射して光っていた。頂上に到着し雪で遊んだ後山小屋に戻り、いよいよメインイベントクリスマス鍋宴会、阿部さんと岩渕さんに準備して頂き、鍋はなんと鴨鍋、岩渕さんの出汁と阿部さんの鴨肉のコンビネーションで絶妙な美味しさ、高橋さんのウィスキー入りコーヒーの乾杯で始まった。外には20人位のグループと小屋内には人の出入り、いい天気に恵まれ人が多かったように思われる。世間は狭いようで阿部さん・岩渕さんのお知り合いの方から「なめこ」を頂き、鴨なめこ鍋にバージョンアップ。私は持参の紹興酒で気持ち良くなってきた。
楽しい時間は早いもので願文山に向け下山。こちらのコースは勾配や起伏が激しくケーキ片手では・・・食った後で良かったとつくづく思っていた。(考慮済みと云われそうではあるが)また、桜公園にさしかかると季節外れの桜が咲いていた。(「十月桜」のプレートが付いていました)
全員無事に駐車場に到着。時間も遅かった為予定していたさくらの湯はパスし、五十公野公園 3時30着、
解散。
今回は雨と寒さを覚悟していたのですが、天気に恵まれ楽しい一日を過ごさせて頂きました。今年最後の山行きということで、来年の春が待ち遠しい。山菜は何が採れるのかを思いつつ年を越したいと思います。
では皆さん良いお年を!(まだ早いですかね・・・?) (記載 : 小林)
二王子岳、鐘下ろし山行報告
2005年11月23日(水) 晴れ時々曇り
遠藤(武)、五十嵐、阿部夫妻、岩渕(優)、大川原
(ゲスト 武藤、二瓶、池田)
モンテの恒例山行、鐘下ろしを11月23日(勤労感謝の日)に計画するも、長期予報は「雨、曇り」とのこと。
遠藤さんの発案で天候の安定している太平洋側の山へと計画変更、それもまた良し。ところが、前日の天気予報は「晴れ⇒くもり(時には雷雨)」急遽、二王子岳に再度計画変更。5時半、集合出発、と TEL連絡。
薄暗い五十公野公園に全員集合?遠藤さんが・・・「もしもし」「今行きます・・・」珍しくいい訳しない素直な遠藤さんだった。岩渕さん、阿部さんの車に分乗し、さあ出発。
二王子神社着、登山靴の人、長靴の人それぞれ準備を開始する。新潟山岳会の阿部さん始め5~6名も準備を開始、若い女性もいる。羨ましい。賽銭も上げず二王子神社に「今日の安全と、もろもろの欲望を祈願」
好き勝手なポジションで7:00二王子神社を出発。阿部ちゃんは御夫人の後ろが好きらしい。五十嵐さんは最後尾が指定席らしい。一合目にて脱ぎたがる人出現のため、小休止。雪が見え始める。一本松、神子岩、水場を通過、積雪約15cmの一王子に8:00到着。
一王子にて池田さんより、美味しいミカンをいただく(自分の身体も・・・・なのに感謝、感謝)元気百倍。ちじ(胸)ラインが素晴らしい武藤さん、ウエストラインが素晴らしい二瓶さん、流石下越山岳会で鍛えたラインは二王子の山容にも引けをとらない。初冬の二ノックススキー場、櫛形山脈、越後平野、日本海の景色を見ながら、遠藤さんの「つれづれなる」話を聞いたフリをしタダ「あいづちを打つ」知らず知らずの内に高度を稼ぎ何時の間にか積雪40cmの独標に着。鴨池、油こぼし、お花畑?と順調に進むが徐々に積雪が多くなる。岩渕さんの体重と積雪のバランスが心配。
三王子神社付近にて遠藤さんは自慢のスノーシューに履き替える。10:30無事、山頂に到着。避難小屋にザックを置き今回のメインイベント「鐘下ろし」だ、二王子様、飯豊の山々に感謝の意を込め今シーズン最後の鐘を打つ。阿部(ツ)さん、岩渕さんの協力を得て無事作業を終える。
さぁ、慰労会だ。避難小屋が宴会の場に、出るわ出るわ「すき焼き」「おでん」「ゆでピーナッツ」他、所狭しとご馳走が並ぶ、日本酒、ビール、ウイスキーなんでもあり、猥談あり、池田さんの馬鹿笑い声あり、阿部(ツ)さんの1km先迄届きそうな話声あり(人の迷惑顧みず)。酒池肉林の世界も12:00でエンド。紳士、淑女に変身。
雨具を着用し、ワカンを着けて下山開始、女性陣の雨具は赤色、黄色まるで紅葉しているようだ、心も気のせいか?高揚しているようだ。
一本松にて五十嵐さん 「黄色に色づいたあの木に西日が・・・俺、この景色好きなんさー」 俺もそんな五十嵐さん好きなんさー。
14:00全員無事、二王子神社に着く。 お疲れ様でした。今回もすばらしい仲間と楽しい山行が出来たことに心から感謝。来春は、修理された鐘を、今度は上げなければ成りません、ご協力お願いします。
追記、青春の鐘とモンテ、青春の鐘と私(個人)、もう一度考えてみたいものです。私は、「青春の鐘」のお陰でまた、二王子に行く事が出来ました。 (記載 : 大川原)
古屋敷に落ち葉舞う(黒沢峠) 平成17年11月13日(日)
今年の11月は暖かい日が多かった。例年の黒沢峠なら紅葉はとうに終わっているだろうに、13日になっても黒沢集落は紅葉に包まれていた。
空はどんよりとしていたが雨の心配はさほどなさそうだ。2台の車は登山口に9時過ぎに到着し、予定よりやや早い登山となった。
濡れた石畳に落ち葉が重なり風情がある。眩しい新緑の頃とは違って、晩秋の石畳もどことなくもの悲しく好きである。江戸時代から明治の初めに先人が往来したこの石畳に私たちの足跡が重なり、歴史が積み重なってゆく・・・。そんなロマンを私に感じさせてくれるのも黒沢峠である。
しかし、心の中とは裏腹に石畳を登りながら雑木林に私は眼がゆく。キノコ探しもこの季節、山での楽しみのひとつなのだ。落ち葉の下のキノコは探しづらいが、立ち枯れに出るキノコは探しやすい。ムキ茸やクリ茸、エノキ茸やナメコなど、この時期に採れるものなのだが・・。なかなか見つからないものだと諦めかけていたら、立ち枯れの木にムキ茸があった。一緒に探していた高橋先輩と、この日、ゲストとして参加していた小林氏を呼んで茸採りが始まった。高橋先輩とは何度も一緒に茸採りに出かけているが小林氏とは初めてなので、「楽しいですか」と愚問すると「はい、楽しいです。ハマりそうです」と嬉しそうに答えてくれた。これでお昼の具が採れて汁作り担当の私にとって予定通りとなった。茸採りに時間が掛かり、山頂に着いた時には他のメンバーは先に下りてしまっていた。少し下りたとき、遠藤氏が藪から出てきて、クリ茸が採れたと見せてくれた。遠藤氏と小林氏は市野々に下ったメンバーを追いかけ、私は高橋氏とキノコ探しをして残ることにした。仲間が登り返してくるまでに1時間ちょっとの時間がある。二人で沢に降りたりして探したがブナハリ茸が少し採れただけだった。くたびれ損と思いながら、昼食予定地の古屋敷と称される場所まで下る。ここは昔は茶屋があった場所だそうで、それらしき跡が残っていて大勢で昼食を食べるのには良い所だ。やれやれと、リュックを下ろして見渡すと、遠くの木の上部にムキ茸らしきキノコが・・「あれ、ムキ茸でない」と先輩と樹の下まで行って確かめる。間違いないムキ茸だ。しかし、高い場所なので採るには難しそうだ。老体の二人では無理と他のメンバーの到着を待つ。間もなく、全員が集まった。昼食の準備をする人、ムキ茸採りに奮闘する人、落ちたキノコ運びに往復する子供達とそれぞれの役割で騒がしい。私はドンと腰を下ろし、汁の具にするムキ茸を刻み、鴨汁に入れて煮えるのを待つ。手元には大きなムキ茸が子供達の元気な声とともに運ばれてくる。健氏と小林氏は子供以上にキノコ採りに夢中である。汁も煮えて全員で昼食を食べようとしたその時、突風とともに沢山の葉が空を舞う。一瞬の出来事であったが美しく、それはこの地の主の歓迎の挨拶にも想えた。美味しく、楽しく遊び、土産の茸まで戴いた事に深く感謝して古屋敷を後にする。
下山して車で黒沢集落をすぎた頃から大粒の雨が降り出した。「雨にあたらずちょうど良い下山だったね」と誰かがつぶやいた。 峠よ、仲間よ、楽しい一日ありがとう。
追伸
この日より小林和康氏は正式にモンテの会員になりました。
良いお付き合いをしてあげて下さい。
参加者 阿部家3人・岩渕家2人・山崎家3人・五十嵐・遠藤・高橋・小林・須貝 (記載 :須貝)
10月2日(日)梁山泊
参加者 阿部親子、岩渕親子、山崎親子、高橋、五十嵐、渋谷(智)
雨に濡れるブナ。多量の雨水を吸収していました。 幹に耳を当てると水の流れる音が聞こえるとか・・・・・?7時に五十公野公園へ集合する。あいにくの雨で焼峰山は中止して、梁山泊へ行く事にする。
須貝会長から電話を貰い帰りに須貝さんの所でお昼を食べる事にして出発する。
車で1時間程で大石ダムの林道ゲートのある所まで行く。雨具を着て傘をさして8時頃から歩き出す。
子供たちは元気いっぱい。
道中はクリやクルミを拾ったりきのこ取りをして楽しめたし、木々の緑も雨のためかとても鮮やかできれいだった。
小屋には8時45分頃に着き窓を開け、薪のストーブに火を点ける。高橋さんの本格コーヒーをいただき、ゆったりした時間を過ごすことが出来た。『たまには、こんなのも良いネェ~』と、会話も弾み、
男の子たちは濡れたズボンを脱ぎパンツ姿のまま2階で元気に遊んでいた。
11時15分 小屋を出発し、帰りも収穫しながら歩く。友ちゃんの袋はクルミでいっぱいになる。
13時頃須貝さん宅に着く。1時間かけてこんがり焼いた鮎と、美味しいまいたけ汁を作って待っていてくださる。須貝さん、正子さんありがとうございました。とっても美味しかったです。
16時に五十公野公園に到着する。今回は雨のため山へは登れませんでしたが、いっぱい話をし、
笑う事が出来て良かったです。ありがとうございました。11月の山行 楽しみにしています。
記載:渋谷(智)
山行報告
平成17年9月18日(日)鍋倉山・黒倉山
参加者:小林(弘)夫妻、高橋、五十嵐、山田、阿部、小柴親子、山崎親子、岩渕親子
五十公野公園 6:45―― 9:30古澤さん宅―― 10:30登山口――11:30~:50 鍋倉山山頂着
13:10 山頂発――茶屋池経由――15:00 登山口着―(やすらぎの湯~板倉支所~20:00 新発田着)
今回が三回目の鍋倉山への計画。お天気も良く、車三台、携帯電話の連絡網を作り、いざ出発。
米山サービスエリアでの休憩時、古澤さんに連絡をとると、『俺も行くから・・』とのこと。
高速道路を柿崎で降り、9時30分古澤邸到着し10時15分関田峠登山口着。
10時30分小林弘君と子供たちを先頭に出発。途中子供たちが虫探しをしたり、
登山道を走ったりして弘お父さんやツヨミさんに注意されながら黒倉山山頂着11時15分。
鍋倉山 11時50分着。
山頂で豚汁を作りみんなでお昼を食べ下山、筒方峠より茶屋池を回り、関田峠登山口に到着。
その後やすらぎ荘に向かい気持のいい汗を流した。
古沢邸に向かい奥さんも誘ってヴァトゥレ(アイスクリーム)を食べに行き、それぞれのお好みを注文した。
古澤さんとはそこで別れ帰路につく。
関田峠―黒倉山は新緑や紅葉もきれいかも・・?また見に行ってみたいね。
そして、時間があればブナの大木 「森太郎」も見てみたいな。 (記載:山田)
花の雄国沼 (7月3日)
参加者 (高野・ 須貝・ 節子・ 久子) 個人計画
突然の予定変更、それは前日の夜のことであった。
Hさんの都合で計画変更、「日帰りで行ける山、連れて行ってぇ~」
「えぇ、えー、急にそんなこと言われても~困ったなぁ」 驚きと、何処にしようかと悩む・・・。
「とりあえず来れる時間に来いよ、考えておく・・・」。
こうして、行き先も知らないまま、昔~しの美女2名が私の所に来た。
「ねぇ、何処に連れて行ってくれるの」 低音が魅力のSさんが尋ねる。
「雄国沼にしたよ、キスゲの花がきれいらしい」。昨夜、悩みながらネットで調べた私だった。
「それに、あんちゃんを誘っておいたから、しばらく会っていないだろ」
「うん、会っていない、早く言ってくれればいいのに~。化粧してくるんだった」
こんな会話をしながら珍道中は始まった。
喜多方で高野氏と待ちあわせ、水沢集落に向かう。
今年から混雑する時期は金沢峠への車の乗り入れは禁止、
シャトルバスの運行となったのだ。
乗り場には大勢の人がバスを待っていた。
この日、4台のバスがフル稼働しても追いつかないほどであった。
晴天の中、バスは金沢峠へエンジン音高らかに登ってゆく。
金沢峠に着いてバスから降り、雄国沼を観てびっくりする。
黄色いジュウタンを敷き詰めたような光景だ。
「あれ、みんなニッコウキスゲ、凄いね」
観る人皆、感激の声であった。
地元の人の話によれば20年ぶりくらいの花の多さだとか。
「いいときに来て良かったね」と4人で喜んだ。
昨年は早霜にやられたらしく、キスゲはほとんど咲かなかった様で
見ることができなかった。その分も今年は咲いたようだ。
木道の行列は慌ただしかったが良い時期に来れて大変良かった。
これも変更してくれたHさんのお陰?。
高野氏とも会えたし、楽しい雄国沼でした。
あんちゃんと駐車場で別れて、
檜原湖を周遊ドライブして帰路となりました。
追伸
来年はムーミン谷に絶対行くぞ~。 (記載:須貝)
袴腰山 526m 平成17年6月5日(日)
参加者:阿部親子、小柴親子、石橋、五十嵐、小林、岩渕 計9名
私の家にある「新潟ファミリー登山」の中にこの山は紹介されていなかった。不精の私はこの山に白紙で向いました。
朝7時30分 五十公野公園では雨が今にも降り出しそうな雲行きでした。息子の悠生は岩渕さんより頂いた登山靴と、阿部お父さんのペース取りのおかげで急登を上りきり無事山頂を踏む事ができました
自慢げに一番に鐘を鳴らしたと私に言いました。賑やかな山頂で阿部夫妻よりラーメンとロングウインナーをいただき、悠生も友ちゃんと楽しそうに食べていました。小林奥さんからの食後のコーヒーも嬉しかった。
ビールを飲んだ石橋さん、五十嵐さんの表情も実に良かった。 頂上からの粟ケ岳、守門岳は雲の中、眼下に五十嵐川が見える。全員でカメラに収まり下山。少々疲れ気味の息子を五十嵐さんは上手に相手をしながら下山してくれました。温泉で汗を流して出ると、粟ケ岳が姿を現して私達を見送ってくれました。
天気に恵まれ、良き山仲間ウウト歩く事ができ、楽しい一日でした。
この袴腰山での私の一番のヒメサユリは、頂上目前、あの急な登り道に咲いていた一輪です。 たぶんあそこを歩いた人達は花を踏まないように登って行ったでしょう。 (山行報告:小柴)
(※ 旧下田村までは、安田、五泉、村松を通り、下道で約1時間半です。)
村の花「ひめさゆり」について。
清楚可憐なヒメサユリは本県の他福島、山形県に自生する貴重な植物です。
ひめさゆりはタネから繁殖します。秋、種が落ちて土中に入り翌年根が伸びて球根をつけます。三年目の春漸く一片の葉が地上に現れます。四年目は一枚の葉が大きくなります。五年目に茎が伸びて葉がニー三枚つきます。六年目はその葉が五、六枚になり待望の花が一輪開きます。
花は五月下旬から六月上旬にかけて咲きます。高山植物の類で地温が二五℃以上になると休眠します。排水の良い、昼前に陽が当たる所を好みます。西陽を嫌い又あまり樹木の茂った下では育ちません。
ひめさゆりの小径のように標高二百米位の低地に群生するのは珍しいのです。自然を大切にしましょう。
高城保存会・下田村
米沢街道 黒沢峠 (黒沢~市野々) 5月15日(日)
参加者 : 近藤、須貝、岩渕、五十嵐、山田、小林、岩渕
天気予報の降水確率が高く、雷雨の予報も出ていた為B班新保岳の計画を急遽変更しました。
昨年の会報に載った黒沢峠、機会があったら行ってみたいと思っていた場所でした。
歩き始めてすぐに顔(?)のついた石畳がありました。薄暗い杉林から、しばらく行くと、明るいぶな林が広がり、足元には一面のカタクリが咲いていました。道はよく整備されていて歩き易く、新緑の中をゆっくり、時々脇道に逸れて山菜採りをしながら約1時間で峠の山頂に着きました。
時間もあり、天気も持ちそうなので、市野々まで足を伸ばし昼食としました。市野々側への道は残雪が多く、石畳は雪の下でした。
石畳には名前を刻んだものや、こんな模様(?)もありました。峠の道には約2,200枚の石畳が敷かれているとか。今回雪に埋もれ、全ての石畳を見ることが出来なかったのですが、また紅葉の時期に訪れてみたいと思いました。(岩渕)
山菜採りは残雪踏んで 5月山行報告 5月8日(日)
参加者
阿部智美家2人、阿部家3人、小林家3人、山崎家3人、岩渕家2人、遠藤さん、五十嵐さん、石橋さん、須貝 17名の参加でした。
今年は、雪消えが遅く、8日に例年の場所での山菜採りができるかどうか確かめる為、5日に山に行って見る。心配した通り、いつもコゴミを採る場所は雪の下であった。他にも数人登っていたが、皆さん残雪に驚いていた。キクギキイチゲ
それでも、沢の際や、陽当たりの良い斜面で、買物袋に2つほどコゴミが採れたので、山菜採りの場所を此処で良しとした。
8日の当日、今回初めて参加した阿部智美さん親子を含め、16名が現地に向う。昨年の7月の水害で崩れた場所があり、慎重に通過して採れそうな場所に到着。ここで2時間ほど山菜を採ることにする。といっても採れるのはコゴミだけであった。子供たちは雪の上で楽しそうだ。初めて参加した智美さんの娘さんも、友ちゃんと「たまごっち」で簡単に仲良しになっていた。
皆さんそこそこに採れて、下山の準備。ツヨミさんと、遠藤くんと私が早く下山して、別の場所でウルイを採ることにして別行動をとる。
ウルイ採りは危険な場所が多い。遠藤君のザイルが頼りになる。
早速、崖を登り、ザイルを垂らしてもらう。落石に注意して私が採り、ツヨミさんが拾い集める。私は体重が重くて、ザイルにぶら下がっているのも難儀だ、上まで登るのを諦めて下りる。後は遠藤君におまかせであった。
午後から、山菜料理の準備に一同頑張る。前日までに別場所で採っておいた山菜を含め、山菜のフルコースができた。有為子さんが加わり、17名での大食事会となった。もっとも、男達はリハーサルで出来上がっていたのだが・・・。
やがて時間も過ぎ、和やかな中でのお開きとなりました。(記載:須貝)
新入会員の阿部さんが須貝さん宛てに山菜採りの感想を寄せてくださいました。
先日は大変楽しい時間をすごさせていただき本当にありがとうございました。
初めての山登り?体験とても楽しかったです。
子供連れのコースということで安心していたのですが、結構危ないところもあり、私と娘だけで登るのは無理でした。
皆さんに助けていただいてとってもありがたかったです。特に娘紗英は、ともちゃんとは「たまごっち」通信を楽しみ、男性陣に手を引いていただいたり、おんぶしてもらったり、子供たちにも思いっきり遊んでもらって、とても満足しておりました。
参加させていただいてよかったなあとしみじみ思っています。
山菜も食べきれないほどいただいて、あの参加費では申し訳ないなあと思いながら、また奥さん大変だなあ、すばらしい奥さんだなあと、密かに感心しながらおいしい料理をいただいて、お得感いっぱいで親子で
大満足でした。
また是非参加させてください。・・・比較的軽いコースでお願いします。 阿部 智美 ・紗英
菜取の場所(旧越戸)と米沢街道について
平家の落人の村と地元の人の証言がある。昭和42年の羽越水害で被害を受け、全員離村するまで5.6件の家、寺、学校もあったという。最近では廃墟と化した家の基礎やタイルの風呂、墓石などが点在するのを確認できる。「田代峠に向かう途中、八幡太郎義家が腰を掛けた八幡石がある」という伝承がある。
羽越国境を越えて交流する旧街道は荒川左岸を主としておいたま口、荒川右岸の八口道、女川左岸沿いの蕨峠越、支流藤沢沿いの折影峠口があった。しかし度重なる水害や崖崩れ等で被害を受け荒川右岸の八口道が主に利用されるようになった。(関川村教育委員会発行 米沢街道より)
古歌に「戸を越えて朝日わたりをいざ白子 森越御館すぎて小阪に」とあるように、越後と出羽置賜郡を結んでいた古道は、沼村(現関川村)から茅峠を越え金丸村に至り、更に荒川を渡り、八口村の越戸(廃村)から田代峠を越えて小渡(朝日わたり)に出たという。古街道沿いの大宮には大宮子易神社があり、今も新 潟.山形の妊産婦の信仰が厚い。大永元年(1521年)に米沢を領していた伊達種宗は、悪路と険しい峠越えであった荒川沿いの古道を廃棄して、羽越国境の大里峠に新しい道を切り開いた。この街道は米沢に上杉氏が移封すると、遺領である越後との間に本格的な街道が整備され、交易は飛躍的に増大した。(米沢街道hpより) <資料 小林氏より>
4 月 の 山 行 エノカッチ(812.3m)
参加者 : 大川原(L)、阿部夫妻、五十嵐、岩渕
五十公野公園6:00集合→玉川発 7:15→450m地点 8:00→大里峠 8:30→エノカッチ山頂 9:45
9:50 下山→大里峠 10:50(昼食、宴会) 12:00下山→12:50 玉川着
二 王 子 岳 の カ ビ 占 い
二王子岳は標高1421m、飯豊連峰の西側にどっしりと聳える山で、現在では休日になると多くの登山者で賑わい頂上からの飯豊連峰の雄大な景色は登山者の心を引いてやまない。 明治30年頃の二王子権現本殿 焼失以前の二王子神社 蓑や三度笠が昔の習俗を物語ってます。
その二王子岳は新潟県北蒲原郡のどこからでも望む事ができる。古くから山岳信仰のやまとして近郷近在の人々から「二王子様」と呼ばれ五穀豊穣の神として信仰を集めてきた。「二王子様」のお祭りには仕事を休み、餅を撒いたり赤飯を炊いて年中行事としていた。太平洋戦争が始まる前までは山開きから山しまいまで山中の本堂や籠堂には老若男女の参拝が行われていた。
5月2日に「シガツサンニチのお祭り」が行われる。境内は登拝者で賑わい臨時で煮売りする店ができたという。山の雪も少なくなり田植えが始まる頃、精進3日、身も心も謹んできた山麓の人々は頂上奥の院までお山掛けする。
二王子岳のお山掛けの唱えは明治以後「天津神、国津神、祓いたまえ、清めたまえ。お山繁盛 諸願成就、あやに、あやに、くすしとうと 一言主ノ神みまえをおろがみまつる」である。
一王子より上は雪道であった。それぞれ一王子、三王子の石祠を拝して頂上奥の院に至り、奥の院の石扉を開けて、前年供えた水稲をさげて変化の状況によりその年の稲作の豊凶が占われ「かび占い」とよばれている。
在りし日の奥の院糀(こうじ)になっていると豊作
水気多く痩せていると雨多い
粒が小さく水気があって味が苦いと虫がつく、水が出ていると不作
などと占われる。登拝には御峰掛け、下りはム沢の雪渓を下るお沢掛けをすることが多かった。以前は田貝の法印様が法螺貝を吹き「さんげ、さんげ」と唱えながら登り、三王子より上は身に付けた獣皮製の物は全て置いて身を清め奥の院に登拝したという。
登拝者は石楠花(シャクナゲ)、黄楊(ツゲ)、一位(イチイ)を取って帰り自宅の軒などに魔よけとして挿す風習があった。
秋のゴクアゲ・・・9月8日 秋祭り、8日ゴクアゲが行われる。9月7日夕方から本殿に夜篭りが行われる。信者奉納の新米を炊き、翌朝米(ゴク)を入れた櫃に五色の幣束を立てて頂上に登拝する。櫃は必ず背うつにして決して地に触れないようにした。頂上に着くとゴクを握り締めて金仏器に詰め高く盛り上げて最後の飯粒一粒を立てて置く。早稲、中稲、晩稲の三つのゴクを奥の院に供え厳重に鍵を掛けて下山した。
この米が翌年の「かび占い」に使われる。
(小林 弘氏より)
平成17年3月6日 (日)
干支山登山 鳥屋ノ峰
(276.7m)
参加者:石橋、遠藤、小林親子
阿部(ツ)、五十嵐、町田、岩渕、 佐藤(小林友人) (計10名)
朝五時に起き、ザックを出し、ニギリメシ、行動食をザックに入れ、朝食を食べ、五十公野公園に向かう。
出発前の身支度、しっかりとワカンを装着して。 この朝は冷え込んで路面は凍結していました。7時30分 車2台で駐車場を出発、菅谷不動尊でお参りをしてから、箱岩峠に向かった。 雪のために不動尊より5分ほど入ったところから通行止めとなり、ここから歩く事になる。遠藤君からワカンを借り足に着けて、身支度完了、準備はOK、出発だ!
林道から15分ほど歩き、左の尾根へと登る。猿の群れが通った足跡などがあり、2時間ほどで頂上に着く。
景色もよく後ろに二王子岳、杁差岳、光兎山、海岸線には風力発電のプロペラ、東港の火力発電所などが見えた。
山頂での宴会。 お昼は、酉にあやかり、鴨汁をいただきました。 青空も顔を出し、とっても気持が良かったです。中央の木の、風に揺れるピンクのテープは大川原さんが下見でつけてくれたものです。昼食に、鴨汁を作って食べる。アツアツの鴨汁、おいしくて2杯も食べる。
午後から総会があるため11時半に下山開始。帰りに、あやめの湯に浸かり汗を流す。いい湯でした。
一日 天候もよく、頂上の景色も良い山行でした。 皆さん、お疲れ様でした。 (記載 : 町田)
屋ノ峰は戦国時代(室町時代)の山城で山頂付近に郭、空堀、土塁が確認できます。城主、城歴不明ですが形態から戦国時代の山城と考えられます。近くの麓城、加治城(天正15年落城)、滝城とそれぞれの山城が加治氏の要塞の機能を備えていたと考えられています。滝城は現在山城跡として遺跡保護の対象になってます。(資料 小林さんより)
新年会と過ぎた日に
総会の会場となった旧一ノ瀬(現在は地域交流センター)、なぜか懐かしい気がした。
20数年前、私たち夫婦の結婚披露宴が行われた場所だ。
建物はあの頃と違っていたが、懐かしい想いは一緒である。
この日、私は参加できなかったが、晴天に恵まれ山は楽しかったらしい。
総会も和気藹藹と無事に終り、新年会の会場である栄屋さんに移動する。
新道の通りにも、看板にも懐かしさが伝わってくる。
モンテの仲間と夜な夜な闊歩した青春の通りを、今また数人の仲間と歩いている・・。
会場に集まったのは8人。
山田さんが車の接触事故に遭って体調悪く、総会後に退座。
代りに小林さんと石橋さんが参加したが、ちょっと淋しい人数だった。
最近の世相では会費がやや高かったか?。
誰かが、センターで安くあがる方法でも良かったのではと言ったような・・。
今後の検討課題としたい。
話題が何で有ったのかは、歳のせいでよく覚えていないが 楽しかった数時間だった
ことだけは記憶している。予算が少し余ったとのことで、歴史を感じるジャズ喫茶で
2度目の会話とコーヒーで小一時間雑談して解散。
「今年は是非一緒に山に登りましょう」と熱いラブコールをくれた遠藤君の言葉を背に
新発田を後にした。
今回、私にとってタイムスリップしたような新年会でした。
登山、総会、新年会とそれぞれに参加した皆さん、ご苦労様でした。
新年会参加者 : 阿部健 石橋夫妻 遠藤 小林弘 近藤 町田 須貝(計8名)
総会出席者 : 須貝、石橋夫妻、近藤、町田、遠藤、山田、阿部(ツ)、五十嵐、小林、岩渕(計11名)
記載 須貝
一日で山登り五つにチャレンジしました。
(最高峰は若橅山 629.9m)
12月12日(日)快晴。
12月のモンテ定例会で急遽決定した行事です。参加者は大川原さん、ツヨミさん、優子さん、私 遠藤(以上モンテローザ)、菊池先生、池田さんの6名です。
6時30分 五十公野公園駐車場に集合し、関川方面へ向う。
一つ目・・・まずは足慣らしで送電線巡視路を利用して沼集落のすぐ裏にある「花見山 183m」に取り付いた。沼川沿いに沼集落が並びこれから登る予定の山々と申年最後に登山予定の山、猿ガ城がすぐそこに見える。鉄塔巡視路の分岐より右に向かい藪をかきわけ、最高点を目指して踏み後を進む。最高点と思われる根曲がり松のピークに到達する。
二つ目・・・次は「猿ガ城 299m」どこから取り付いたらいいのかわからない程 急斜面の岩山です。車を止めるのにも苦労する。林道より沢が伸び上がっている。夏なら登ってみたい所だが、今は12月です。
比較的傾斜の緩やかな藪尾根を見つけブッシュを頼りに上へ進むこと35分で山頂とおぼしき地点に到着。一番乗りは申年のツヨミさんに譲って!!山頂で今回初めてのカンパイです。山頂からは若橅山とこれから登る大里峠がよく見える。
チューハイですっかりハイになった皆さんは『岩壁を下ってみませんか?』と言った私の言葉に『行けるなら行ってもいいこっさー』との答でした。岩尾根を踏み跡を進むとやがてブッシュを頼りに下へ降りねばならなくなり、このまま下るのを諦め引き返す。そして登ってきた斜面を勘を頼りに無事下山する。
その後、大里峠に向かい車を進める。運転する私にとって狭い林道はとても苦労する。畑鉱山跡を過ぎ林道終点まで強引に進み靴を履き替え峠を目指す。各自が先ほどのハイの状態を引きずる様に、ハイペースで登り先頭は30分、あとからの人でも35分程で「大里峠 475m」のお堂前に到着する。
大里峠は越後と米沢を結ぶ米沢街道十三峠の中でも国境越えの最も重要峠であった。関川村ではハイキング道として整備しているのか道は悪くない。
さて、これから今日の宴会です。カツサンド、おでん、湯豆腐、薄切り餅のしゃぶしゃぶ、ママカリ、漬物・・み~んな美味しく頂きました。私のボージョレ・ヌーボーはどうだったでしょうか?
お堂の脇から送電線鉄塔まで登ると景色が広がる。次に来る時は山形県へ下ってみたいと考えています。
畑鉱山まで戻り、直線距離で「若橅山 629.9m」を目指す。途中までは植林作業道と送電線巡視路を利用して最短距離で進む。林道標高260m、送電線巡視路交点標高460m、そこより高度さ170mの藪漕ぎです。私が真っ先に飛び込みます。全速力で30分。山頂は藪があり過ぎて周りの景色が望めませんが、三角点を確認でき気分も最高!
下山時に若橅山の下にある岩窟に寄って見る。見上げる天井には剣のように尖った石が何千本と今にも落ちそうにひしめいている。クワバラ、クワバラ。私のすぐ後ろをツヨミさんがぴったりついてくる。藪漕ぎの極意は上級者の後ろを注意深くどのようなルートを通るのか考えてついて行くのが上達の近道です。
これで4山です。さらに予定している榎峠でしたが、無理をせずやめておこうと思ったのですが・・・皆さんのファイトは私の予想をはるかに越え、帰路のR113 いつも目に付く、鷹ノ巣温泉の展望台へ行くことにしました。そして15分の登りも最後にこなしたのでした。展望台では池田さん持参のコーヒーゼリーで乾杯し、今日の5山目の登頂を祝して何とも言えない感動と充実感に至っていたのでした。
下り、私は斜面を駆け降り途中カモシカを脅かし下まで5分で降り、皆さんの降りてくるのを眺める。
下山後の温泉は下関の「桂の関ゆ~む」。温泉ですっかりリラックス。入浴後、腰に手を当て、牛乳を飲む菊池先生はTVのCMに出てくる人みたいにカッコウがいいです。
皆さん本当にご苦労様でした。
新年度もガンバリましょう? (記載 :遠藤)