大峰山 

平成20年12月7日(日)晴れ

参加者 : 菅原、渋谷(良)、阿部(ツ)、岩渕

 会恒例のクリスマス登山、こども達も年々大きくなり昨年同様今年も大人だけの参加となりました。
今年は、鍋やケーキの分をを消化するには・・と、法印瀑コースを登りました。(渋谷さんは寺沢林道コースから)
 杉林の中を歩いていると、木に積もった雪が融けて雫がシャワーのように降ってきます、朝日に当たりキラキラ輝き、とてもキレイでした。日陰の登山道は、気温が低く、雪はサラサラで周りの木々は雪の花が咲いたようでした。大瀑、法印瀑を眺めながら、雪の中を気持ちよく歩くことがきました。
稜線に出てから、きのこを見つけては道草しながら、登りに3時間かけて小屋に着きました。
この時季に毎年お会いする常連さん(駒の会)と、またお会いしましたね~~と、ご挨拶。
小屋の中は大賑わいで混雑していましたが、私達の到着する1時間半前から渋谷さんが4人分の場所を確保しておいてくれて、すぐに宴会を始めることができました。(ありがとう~!)あったかい鍋を囲んで4人で盛り上がりました。
一年に一度、鍋を囲んでのクリスマス登山。
のんびりゆったり・・時にはいいですよね。
近いところなので、ゆっくりできます。
次回は是非是非、大勢の方の参加をお待ちしています。
                   記載:岩渕

       平成20年11月16日(日) 二王子岳 鐘おろし報告

         天気 小雨  参加者 : 五十嵐、阿部(ツ)、菅原 

6時に五十公野公園に集まり菅原さんの車で出発し3時に無事帰ってきて解散しました。
◎6:35 二王子神社に到着、ほかに車が3台ありました。小川のイワナを見て登り始めます。◎7:00 大杉の所で暑くなったので服を脱ぎ水分補給をしました。◎7:45 一王子小屋に到着、この手前で、前日に泊まり下山する渋谷(良)さんと友人と出会いました。◎8:25 独標到着、ポツポツ雨が当たってきたので合羽上着を着る。少し歩いたところに血の付いた うさぎの白毛と思われるものが散らばっていました。◎9:30 水場に到着、阿部さんが昼食用の水を確保しました。私は合羽ズボンをはく。◎10:00 ガスの中 頂上小屋に到着する。青春の鐘をひもでつるし下げてカラビナも下ろす、菅原さんが棒ボルトを外しました、ボルトのネジ山がさびているので次回はさび止めのスプレーを持って行ったらいいと思います。今回は新麻袋を持っていきました、古袋に鐘を入れて小屋の隅に置く、これで半分袋と新品と穴の開いた古袋の3つの袋になりました。
 お昼は、阿部さんが鴨肉入りのうどんを用意してくれました。今日は気温が高めで風も弱くあまり寒くありませんでした。 
小屋にはその後男女5~6名のパーティが到着しました。別に下越の男性が1人来ました。その方の話だと、前日は百名くらいの登山者がいたようです。
◎11:50 私たち3人は下山開始、ビールで身体が温かい人、アルコールが醒めて寒い人など。◎12:55 独標着 山の方はガスって見えます。◎1:30 一王子小屋 ポツポツ雨ですが大杉の枝の下は地面が乾いていました。神子岩の下では小さくて白っぽいチョウが多数飛んでいました。◎2:30 二王子神社到着 イワナさんがまた見えました。雨が当たってきたので水場小屋で合羽を脱ぎ、車に入りました ◎3:00 五十公野公園着 今回は車代、昼食代を奢ってもらって参加費は0円でした。
須貝会長さんに電話で報告をしました。なお、小林(和)さんも参加予定でしたが、都合が付かなくなり今回は見送りでした。
次回の参加をお待ちしています。私はスッポンドリンクを飲んで二王子岳に登りました。                                    記載 : 五十嵐利和

             思い出の引き出し

                           須 貝 正 春
 私は尋ねた。
「どこか行ってみたい処はあるの」と。
「日光の東照宮へもう一度行ってみたかった、無理だろうなぁ・・」
と言葉弱々しく彼は言った。
「大丈夫だよ、車イスを借りて行けばなんとかなるから。今度退院したら一緒に行ってみようよ、そのときは連絡をくれ」
「ありがとう・・」と涙目をしていた彼と別れ、病室を後にしたのは、彼が亡くなるひと月前のことであった。
 あの約束を果たせないまま、彼は逝ってしまった。
 そのあっけなさに驚き、虚しさが心を痛めた。
彼が最後に行ってみたいと云っていた東照宮。最後の思い出としたかった場所がなぜ東照宮なのか・・。
そんなことを考えながら、私の心の中にある思い出の引き出しを開いてみる。
沢山の思い出が詰まった引き出しの中から彼を探すのだが・・跡切れ跡切れの思い出しか浮かんで来ない。
やがて記憶の糸は彼に入会を勧めたあの日まで遡ってしまった。
釣鐘塔二代目完成祝賀会 山路にて(向って左に秋山氏)
 あれは、青少年ホームでのことである。
その日は日曜日、晴れて気持ちの良い昼下がりであった。
雑用があってホームに行くと利用者は誰もいない様で静かであった。
職員さんに挨拶をして二階の娯楽室に行くと、ポツリと彼は独りでそこに居た。
「誰かと待ち会わせですか」と尋ねると「別に・・」とあっけない返事である。
「こんな天気の良い日に・・ですか」とその先の言葉に詰まってしまった。
そんな彼のしぐさに友達のいない寂しい心が感じられた。
名前だけは知っていたので「秋山さん、モンテの会に入らないですか」と聞くと、
「山登りはちょっとねぇ、この体だし腰も悪いしねぇ」と関心が無い。
「でもね、登山ばかりでないよ。ときどきはドライブにも行くし、毎週集会もあるしね、楽しい会だから来てみてよ」
と云って彼と別れた。
その週の集会日に、彼の姿が娯楽室に有った。
あの日から35年は過ぎただろう。なのに・・思い出せない。
アルバムを開いてみたが、彼が写っている写真は私のアルバムには少なかったことが寂しく感じられた。
あの日、ホームに他に利用者がいたら彼に声を掛けることはなかっただろうし、
私に連れがあっても誘うことはしなかっただろう。
静寂な空間の中で互いが独りだったから心を感じることができたのだろう。

 人と人との出会いは偶然かそれとも運命だろうか。
私やモンテローザでの人との出会いが彼の人生でどんな意義があったのか、
今になっては聞けないが、出会えて良かったと思って貰いたいし、出会えて良かったと私は思っている。
ただ、最近は心交わる機会が無かった様な・・・。
もっと彼の存在感をアピールできる場を作ってやればと後悔が残る。
 私たちも先が見える年代になってきた。残された人生を大切に生き、心の引き出しにはもっと沢山の思い出を残したいものだ。

最後になりましたが「通夜に大勢参列戴き有り難う御座いました。」とお兄さんからの伝言でした。
 心から秋山氏のご冥福をお祈り申し上げます。

                 葡萄鼻山(798,3)

                  2008年11月9日(日)
                    参加者 阿部夫妻、五十嵐、菅原、渋谷(豊)

 26年ぶりの梁山泊は、周辺の木々が大きくなりひっそりと静まり返っていました。
阿部さん夫婦、五十嵐さん、初めてお会いする菅原さんに私の5人で、8:00に林道ゲートを出発し、1時間程で梁山泊に到着。小屋の中は良く整理されているが、人があまり来ないのか、少々湿気臭いようだ。天気は曇りで何とか雨は大丈夫のようだが、早々に立烏帽子へ向かう。途中でルートを見失ってしまう、どうも記憶と違うので地図で確認すると、立烏帽子と葡萄鼻山の最低鞍部へ突き上げるようだが、皆さんには申し訳なかったがそのまま30分程急登の藪こぎをしてもらう。無事に稜線に到着、同じく間違う人がいるのか、古い赤布が所々にあった。小ピークを越えて立烏帽子へもどる、山頂は眺望が素晴らしく、眼下には紅葉の中の青い屋根の梁山泊が見える。梁山泊小屋紅葉は一番の見所のようだが残念かな、杁差岳は雲の中である。ここで昼食といきたいところだが、20分ほどの休憩で
最低鞍部へ戻り、葡萄鼻への藪こぎに突入する。たまに歩く人がいるのか古い赤布がある。
1時間程藪こぎで葡萄鼻山に到着、先客がおられお互いにビックリしてしまう。私達のことを熊と思ったのか一生懸命に鈴を鳴らしていた。山頂は1.5m程の笹薮で三角点の周りだけ刈り払ってあり、予想どうりに眺望はあまり良くない。先客さんの話によるとこのまま真直ぐに進み、標高650mあたりで、古い作業道に出るとのことなので、一緒に下山することにする。11:00すぎに下山開始、ピークを二つほど越えたあたりから、南に
急斜面を藪こぎで下ると、幅2m程の作業道にでる。ここで先客さんは、この先を見てくるとのことなので、別れて梁山泊へ下山する。ぶなの紅葉が素晴らしく、のんびり下る。
梁山泊では、りんどう山の会の人達が大勢、立烏帽子から下山してきたところで、一緒に
外で昼食にする。昼食中に小雨があたってきたので早々に切り上げて下山する。ゲート手前で本降りになってきたが、なんとか雨具をつけずに車まで到着する。久しぶりに、須貝さんの温泉をご馳走になり山行を終了する。   記載 渋谷 豊

      葉山(1237m)山行報告

                    2008年10月19日(日) 天候 晴れ時々曇り
              参加者  五十嵐、菅原、阿部(ツ)、大川原

 日頃の行いの良い4名限定(今回は神の宿る山のため。素行不良の方には参加を辞退していただいた)で、信仰の山、葉山へと行く事とした。
 6:30 計画通り全員、五十公野公園に集合出発。菅原さんの愛車にて一路、葉山登山口へと向かう。
山で養ったルートファイティン「グ!]が生かされ、道に迷う事無くすんなりと8:40登山口に着く。
 準備を整え8:50山頂を目指し出発。以前、軍道として栄え多くの軍人さんと馬が行き来したであろう広い道を歩き始める。身体が慣れた頃、大きな石碑を横目で流し少し進み、木の橋を渡ると若干道幅が狭くなり山道らしくなるが、まだまだ二人並んで歩ける位の道幅だ。五十嵐さんは何時もどおりで自由人だ、ミズラナの木のふもとで覗いているのか?残念ながら舞茸とのコミュニケーションは執れないようだ。
 優しい日差しが赤や黄色に染めた葉をより美しくしてくれる、この景色を独り占めにしながら進む。長井市外の町並みや最上川を時折眺めながらゆっくりと進む。
 11:20白兎登山口 11:25葉山山荘着、その脇に立派な葉山神社がある。今回の安全を祈願し、ついでにモンテのご家族の家内安全を祈願後、葉山奥の院へと向かう。途中、まるで屋外サッカー場のような草紅葉の草原を右手に見、進むと大朝日岳への分岐に出る、数分でケルンが目印の奥の院に着く。
 山頂で、祝瓶山や大朝日岳を眺めながら、阿部精肉店差し入れのご馳走を頂き、感謝感謝のひと時を過ごす。12:10新緑の頃、また来たいと思いつつ山頂を後にした。14:00無事、菅原さんの愛車にたどり着く。途中、温泉で汗を流し、17:00五十公野公園着、約7ヶ月ぶりの会山行、改めて山の仲間のすばらしさを知らされた山行でした。菅原さん、運転お疲れ様でした。   記載 大川原

               粟 ケ 岳(1,292.7m)   平成20年10月5日(日)

                 参加者 阿部、岩渕、五十嵐、菅原、小林(弘)、 ゲスト 渋谷
                 記 録  小林 弘

 粟ヶ岳は自分の担当山行行事として今回参加した。
以前も、積雪期、夏と何回も訪れていた山であるが、いつもの場所から登るかどうか迷った。別コ-スからの登山も考えてみたいと思い、加茂市の粟ヶ岳の登山道整備に御尽力されている地元の横山かつしげさんに電話で聞いた。数年前に無雪期に大俣沢登山道を下山に使用したり、あるいは積雪期に粟ケ岳~宝蔵山経由で下山したりしたので、今回もいずれかのル-トを登りたいと思案した。しかし、どのコ-スも荒廃し廃道化し、お勧めできないとの情報。仕方なく水源地から中央登山道経由で、粟ヶ岳に登頂することにした。横山さん曰く、登山道整備もボランティアで行っているが、高齢化して整備もおぼつかないとの事。それを思うとボランティアで行って登山道を守るその努力に敬意を表したい。このような人たちがいて、登山客がたくさん訪れ、恩恵を受けている人たちもかなりいると思う。今回私達の山行も下山後に温泉に行ったが、町の活性化にも繋がると思う。横山さんのような人のバックアップ、支援が町からあれば良いのにとそう感じた。
(紀行)
 私と菅原さんの車で、五十公野公園を出発。車中で飲んだ缶ジュ-スが利いて、コンビニでトイレタイムをしながら加茂の水源地に向かう。加茂の水源地に着くとすでに車の置き場が無い程で、なんとかそれでも駐車する。途中、「気をつけて行って来てね」と知らない人が声をかけてくれた。あの横山さんか?
 なぜか、今回のように秋の粟ヶ岳には来ていないので、いつもと違う景色が視覚を楽しませてくれた。道刈りの横山さんに感謝しながら歩きだす。菅原さんは、「タオル忘れた」と小さい声で言った私に、わざわざリュックの中からタオル取り出して「これ貸してあげる」と、菅原さんらしい心遣いに感謝。遠慮なく汗拭きとして使わせていただきました(*し*)/
次第に高度が上がるにつれ、紅葉が綺麗になり、岩渕さんが色々、「これ○○草」「あっ、これ○○草であんまり無い種類」と色々教えてくれるが、左から右へ筒抜けでさっぱりインプットされず。今度、勉強しときます。いい事典でもあるろっか?しかし、植物の事よくわかるな~!まるで事典みたい。機会があったらまた教えてくださいね。小屋からどうするかみんなと相談する。そうこうしているうち、五十嵐さんが、「なんだか山に来ているみたいだね!」いきなり、みんなから笑いがこぼれる。さすが、色んな場所、場面を経験している五十嵐さん、お笑いでみんなを和ませてくれた。
 山頂に到着すると、生憎のガスで周囲がよく見えず。いつものように、山岳同定と、あの山に今度行こう!と言いながら、とても無理と思うような山の計画がどんどん出てくる。まあ、山頂でこんな会話をしているうちが花かな!阿部さんも、時々晴れ間から山が覗くと、みんな山を指差して、細かくあれ、○○山、○○山と教えてくれた。山頂にある展望図より凄い。小林は、ウオロクで購入した498円の魚焼網でシシャモやニシンの干物を焼いて賞味する。ザックの中は、全部食料。食べれば何も残らない荷物で、ここまで来られたのも、みんなのおかげと感謝しました。
 今回、菅原さんの友達の渋谷さんも参加してくれました。渋谷さん、今回の山はどうでしたか、みんな楽しい仲間ですよ。また山に行きましょう!
終始みんなの楽しそうな笑顔や笑い声で溢れ、やっぱりモンテの山行はいいな~。またモンテの仲間で山に行きたいと思う。そんな山行でした。ありがとうございました。
(文責・小林弘)

               摩 耶 山(1,019m)   平成20年9月21日(日)

                 参加者 阿部夫妻、高橋、菅原、五十嵐、岩渕、小林夫妻、ゲスト 鈴木
                 記 録  小林 弘

 今回 会の山行に、参加させていただきました。同行された方に、お世話になったのでこの場を借りて皆さんにお礼申し上げます。
 会の山行に参加するのは、ほぼ1年ぶりで、昨年も土砂降りの雨の中「吉祥岳」の担当で参加しました。今回も天気予報は雨、それもかなり降水確率が高い。最近ついてないなと思いながら車を走らせる。
 今回は摩耶山で、長男が小学校1年生の時に下越山岳会の皆さんに連れて行ってもらった事があり、自分で行くのと人から連れて行ってもらうのは大違い。前回は、さっぱり山の情報は持ち合わせてなく、ただ、暑い山頂で寝転がっていたらいつの間にか、体中に蟻が纏わりついて、蟻の食料にされるところだった・・という記憶がある。それと、山頂からの景色は眺望がよかったようである。それから10年以上経過し記憶も薄れている。
今回も、モンテの山行で担当さんに連れて行ってもらうつもりで、コ-スや時間など下調べもしないでいた。先回の山も今回の山も下調べが無いので、登山口や時間、コ-スなど情報は「0」に等しい山でした。ただ、あると言えば前に行った記憶だけ。阿部さんから、「登山口どこからする?」と聞かれた時「(汗)ドキッ」としました。越沢登山口の前にいたので、そこから登る事になりました。1/25000の地図はいつも持参して歩くので、それだけが頼りで歩き始めました。雨は森の中を歩くのでそんなに降らなかったのが幸いでした。登山道があるとは言え、地図とにらめっこしながら登る。歩きながら後ろにみんながついて来る姿を見て責任を感じる。途中にある「六地蔵」にお参りする。岩渕さんが「地蔵様の頭を撫でると雨が降るよ」とみんなに警告。しかし、そうでなくとも雨がすでに降っていた。自分は、賽銭の金額に注目。「ラ-メン一杯分にもならない位だな」・・・(それ賽銭ドロ?バチあたり)それでも、無事山頂着。阿部さんが先行して新調のツェルトを張って待ってくれた。期待した山頂からの景色は全然無い。やれやれ・・ここで昼食と思ったら、別の少し下りた所で昼食にしようという事になり、雨も降っているのですぐ下山開始。ここで高橋さんがきのこを見つけては「食べられないみたい・・・」と言ってはみんなに教えてくれて、きのこの達人だな~と思ったりした。

 最近いつも、同じ道を下山するのがつまらないという事で、個人山行は、別コ-スを辿ることが多い。阿部さんと相談して避難小屋から滝を見ながら下山する事にする。しかし、そこが「上級者コ-ス」なんて知識は無く、そのまま沢コ-スを辿る。それがわかればそのコ-スは皆の事を考えて下山しなかったろう。雨で滑りやすく、急な岩場の連続するル-トでみんなに恐い思いをさせたみたいと感じる・・みんな必死で歩いている。昔から修験道の修行場になっているだけの事はある。しかし、七つ滝や行く時に見られなかった綺麗な滝が見られて良かった。午後3時に安全地帯に抜けて遅い昼食。車に戻る。車の外で着替えていたら、女性陣から「気持ち悪いからあっちで着替えて!」の声。若い頃よりは少し太ったが、イケメンとは言わないが「メタボ腹には自信あるんだけどなぁ~」

              平成20年8月23日(土) 「第82回全国花火競技大会」~大曲の花火~

                        参加者 : 山﨑親子、阿部(ツ)、岩渕夫妻  

 ツアーバス、新発田から「朝8時コモタウン出発」の予定は少し遅れましたが、7号車に6人乗り込み出発。(この日は全国から秋田に向けてバスが行列を作るそうです。)秋田まで何度か休憩をとり午後4時過ぎに駐車場に着いた時には、雨が降り始めていました。・・ここは雨でも風でも花火は予定通り決行するので・・雨具の上下を着込んで会場まで歩いて行きました。進むにつれ、どこからこんなに人が・・と思うほど人・人・人。
大仙市雄物川河川敷に近くなるほどその人数は増えていきました。(普段4万人の町が、この日は、70万人にもなるそうです。)

 板張りの桟敷席に着くや否や、17時からの昼花火が始まりました。この「昼花火」、今では大曲でしか見ることができないそうです。
初めて見る昼花火は、早打五発、音は静かですが、空に赤・黄・紫など・・色が残る花火でした。
雨は徐々に本降りになり、早めに夕食のお弁当を広げましたが、雨水が入り水っぽいものになりました。
(その後夜花火が終わるまで雨は止むことがありませんでした。)

 私達は、現地に着く迄の車中で2年前に放送された一人の花火師さんのDVDを見たり、公式プログラムを読んだりして、花火についての予備知識(?)を少々頭に入れて花火に臨みました。
始まってからは、”芯が中心、形がきれいに出てる、色がきれい・・” などと審査員もどき?の感想を言いながら一味違った鑑賞をすることができました。
また、桟敷席は一列目のいい席で花火が振りかぶってくるような感覚・・思わず手を伸ばしてしまった程でした。
大会提供の「未来惑星 栄光への輝き」 は、素晴らしかったです。これでもか・・これでもか・・と、あき時間なく打ち上げられ ドン!シュー、ヒュ~~という、すぐ傍のここでしか聞こえない特有の音も聞こえ、目で耳で全身で花火を感しました・・みんなで鳥肌が立つほどの感動!充分に堪能した花火でした。
 6人とも雨の中、肌寒さを感じながら・・しかし、この花火はきっと心に残るものとなったと思います。
毎年8月の第4土曜日が競技大会です。皆さんも都合をつけて是非一度いかがでしょうか?お勧めです!  (岩渕)

第82回全国花火競技大会 結果


「優秀賞」 10号割物の部 茨城県 野村花火工業㈱、「創造花火の部」 茨城県 野村花火工業㈱ 

大会提供花火 「未来惑星 栄光への輝き」 の一部

    平成20年7月27日 金山 (2,245m) ─ 妙高市 ─

               参加者 : 阿部夫妻、五十嵐、菅原、岩渕、ゲスト 藤田夫妻

 前夜発の山行でした。26日(土)夜8時30分に阿部(健、ツヨミ)さん宅に集合。ゲスト2名を含めて総勢7名で阿部さんの友人の車1台で出発。聖籠新発田ICから高速に乗り糸魚川ICで降り一般道へ。途中コンビニで食料などを購入し道の駅小谷(おたり)に着いたのは11時30分。早速、テント2張を設置し仮眠(熟睡?)する。朝4時30分に起床し、朝食そして登山口へ向けて出発。
 登山口駐車場には先客の車が約10台。準備し6時に登り始める。ブナ林の中を登り始めるが急登ですぐに汗が出はじめる。約1時間で水場に着き休憩。水場の水量は少ない。20分ほどで巨大な水芭蕉が現れその後窪地の道になる。ロープとハシゴでガレ場を登り樹林帯を抜けると笹の草原、そして素晴しい一面のお花畑が現れチングルマ、ハクサンコザクラ、シナノキンバイの群生。そして、そこにはまだ新しい石仏もあった。そこからいくつかの雪渓を歩き1時間ほどで頂上に到着する。前方には裏金山、焼山が間近に見え素晴しい景色で、いままでの疲れも吹っ飛ぶほど。倒れていた頂上の標識を手で支え全員で記念撮影。頂上から少し降りた所に広場がありそこで昼食。ビールで乾杯しゲストの方の天ぷらうどんや阿部さんの冷シャブをいただきました。とても美味しかったです。
 12時に下山開始。そしてすぐに登って来た人たちを見たらな~んと7月6日の地蔵岳で写真を撮っていただいた人達でした。お花畑にお別れをし、濡れた窪地で転んだりしながら降りて行く、あと30分ぐらいで登山口というところでカミナリ、そして雨が降り始めた。”車まで大雨にならないで・・・” との全員の願いが天に通じたのか、どうにかカッパを着ないで駐車場に着き大急ぎで車に乗ると本格的に雨とカミナリとなった。帰りは小谷温泉雨飾荘でお風呂に入り、高速道路で少し渋滞に遭いましたが無事夜7時に新発田に到着。
 皆さんお疲れ様でした。それと、車を貸していただいた「鳥竹」の伊保橋さん、どうも有難うございました。  (菅原)

金山山頂にて

火打山をバックに

                       切り合せ登山   2008年7月6日(日)

                        参加者 : 阿部(健)、菅原、岩渕

 ここ3年間 初めて登山した飯豊連峰を集中的に登っている。
切り合せコースも今年で3年続けて登っている。2年前は一日中雨とガスでビショ濡れになりながら飯豊山本山をピストン。昨年も雨の中登り始める。また雨とガスの中と思いながらモクモクと登っていると、地蔵岳を越えたあたりからヒメサユリがポツポツと咲いていた。それがどんどん登るにつれ数を増していく、背が高く色も濃く、香りもとってもいい。そんな花道を1時間半くらい歩き続けてとても気持ちが良かった。そして今年も登ってみると、去年と同じく、美しく香りのいいヒメサユリが登山道の両脇に見事に咲き乱れていた。おまけに背の高い見事なハクサンチドリや、薄ピンク色のシャクナゲも咲き誇っていた。
また、自分の頭の倍以上もあるカエルを3分の1ほど咥え、慌てて逃げようとしている大きなマムシに出会ことができた。
 来年もまたきたいなぁ・・と、思い、ガスの間に見える飯豊本山を眺めながら下山した。下山後は大日杉小屋でシャワーを浴び管理人からサクランボをいただき気持ちよく帰宅。
 これからも体力の続く限りハクサンイチゲの花畑がある梶川尾根~門内コース・大雪渓の石転び沢コース・ヒメサユリの美しい大日杉~切り合せコースを登って行きたい。   (記載:阿部)

              梶川尾根~門内岳      2008年6月15日(日)

                参加者 : 阿部夫妻、菅原、岩渕、藤田(ゲスト)
 登山口5:30発-湯沢峰7:00-滝見場7:35-五郎清水8:30-梶川峰9:30-胎内山10:30-門内小屋10:54-
 門内岳10:58着,
 門内岳12:00発-梶川峰13:15-五郎清水14:00-滝見場14:32-湯沢峰15:09-登山口16:35着

 お天気も良く、暑くなりそうな日。登り始めから急登の連続で汗がタラタラ流れました―。
五郎清水はまだ雪の中で、標柱もほんの頭だけ出ていました。暑さの中の、雪渓歩きは涼しく気持ちが良かった。稜線に出てしばらく歩くと、お花畑にはハクサンイチゲの群生・・うわぁ~~~。青い空、白い雪、柔らかな緑・・一面のお花畑・・本当に素晴らしい風景で、あれを見たらやめられない~~~長時間の登りの疲れも飛んでいきました。
(門内小屋はまだ鍵がかかり使用できませんでした。)
昼食は、360度ぐるりと見渡せる山頂付近で楽しく賑やかに。
下山時 滝見場からは石転び沢を下山するパーティが見えました。
久々の飯豊でしたが、期間限定で咲くお花畑の花々・・また行きたい、見たい!の衝動にかられました。
下山後は、飯豊山荘のお風呂で汗を流し帰路に着きました。
(※イワカガミ ピンク色もありましたが、ここには花色が真っ白なものが多くありました。)  (記載:岩渕)

 守門岳(大岳-青雲岳-袴岳) 平成20年6月1日(日)

                        参加者 阿部(ツ)、岩渕、山田、菅原、近藤  

 5月25日の予定であったが、天候不良のため6月1日に変更した。
天気予報は曇りのち雨模様だったが朝から快晴で気分良く、山田さんの車で朝5時30分出発。
保久礼小屋までの道は復旧し、順調に駐車場に到着。駐車場は山開きの翌週だけあって空いていた。
大岳(1,432m)まで新緑のブナ林の中、階段状に整備された登山道を登る。途中所々に、オウレン、カタバミが咲いていた。
 大岳に到着。有名な東洋一の雪庇は規模は小さくなって残っていた。雪庇上から見る袴岳は、東側にカールを抱き素晴らしい眺め。ここで記念撮影する。
登山道は絝岳めざし急降下、途中カタクリの群生やツバメオモト、シラネアオイが咲き乱れていて皆感激。
鞍部より青雲岳めざし今度は急登。木道のある青雲岳に到着し、振り返ると雪庇を抱いた大岳が見える。雪庇は意外と小さく見えた。青雲岳より15分で絝岳(守門岳)頂上に到着。
 頂上は何も遮る物はなく、浅草岳、越後三山、粟ケ岳、米山等360度のパノラマが展開していたが、気温上昇の為か少し霞んでいたのが残念だった。
 昼食はいつもの様に、阿部さん・岩渕さん持参の焼肉、漬物、デザート等で賑やかに長々と時を過ごした。
下山はキビタキ小屋付近までは順調だったが、ここで左足膝裏に痙攣を発症した。阿部さんからストックを2本借り、自力で下山できた。ストックは2本を使ったほうが良い事は知っていたが、実際使ってみて足に負担をかけない方法だと実感した。
帰途、遠回りで守門温泉で汗を流し、「道の駅 とちお」で揚げたての油揚げを食し、帰宅の途につき、充実した一日だった。 (近 藤)

            平成20年5月11日(日)  山菜取り 

                   参加者 須貝夫妻、近藤、遠藤、阿部親子、山﨑親子、山田、岩渕

               今年も親子で参加できた山菜採りのしあわせ    (記載 山﨑玲子)  

  毎年楽しみにしている山菜採りに、今年も親子で参加させていただきました。
子どもが中学生になり、部活中心の休日・・・この日も部活の予定が入っていたのですが、「お母さん自然の空気が吸いたい。ぼくたちも行きたい!」の一言で今年も実現できました。初めて参加させていただいたのは、5年前、当時小学校3年生だった子どもたちは、山菜採りどころではなく小林さんのお兄ちゃんに遊んでもらい大喜びではしゃぎ回り夜中に熱を出したことを思い出します。
去年は、山菜採りの途中から化石探しに変わった子供たち、今年はさすがに中学2年生、山菜採りに集中できるようになりました。母親の私がいまだだにコシアブラの木がどれか?食べられるぜんまいがどれか区別がつかない状態なのに、須貝さん阿部さんに教えてもらい、「お母さん、これがコシアブラの木だよ。」などと言えるようになりました。おかげ様で、ワラビ・ゼンマイ・コシアブラ・たらの芽・山ウド等採ることができました。採った後は、須貝さんの奥様が準備してくださっている山菜料理をおいしくいただきました。これも楽しみの一つになっています。
親子共々、山菜採りの楽しさと美味しさ・新緑の美しさ・モンテの皆さんとの楽しい会話でリフレッシュさせていただきました。普段経験させてあげることができない事をいつもモンテの会員の皆さんから、子供たちに与えていただき、感謝しています。これからもよろしくお願いします。
今回、家族の入院や体調を崩されて参加できなかった人がいることをお聞きしました。一日も早く回復されることをお祈りしています。                   

                二王子岳 鐘上げ登山  平成20年4月6日(日)  晴れ

                   参加者 : 阿部(健)、阿部(ツ)、菅原、岩渕、藤田(ゲスト)

 天気予報は晴れマーク一つ、気温は16度まで上がると言う予報。
神社まで除雪が入ってないので1時間の林道歩きになるかも、という話でしたが前日(前々日?)に除雪が入ったとの情報を得て出発。神社が見えるほんのちょっと手前で除雪はストップしていた。ここに車を置き、身支度をし、阿部さんはスキーを背負い、5人そろって出発。雪が締まっていてワカンはいらない。
冬道を阿部さんがみんなのペースを考えてくれて、足並みをそろえて順調に進む。歩き始めて1時間ちょっと、「あそこが一王子の小屋」・・と左方向下に青い屋根が見えた。まだ大分雪に埋もれていた。しばらくして独標。ここまで2時間 積雪量は3m、ここでしばし休憩。振り返ってみる新発田の町は春霞で、もやがかかったようにぼんやりと見える。
休憩後も順調なペースで登る。真っ白な雪、真っ青な青空・・気持ちがいい!遠くにオレンジ色の小屋が見え、鐘の支柱も見えてきた。雨量計にはエビの尻尾。積った雪も大きなエビの尻尾・・白鳥が羽を休めたような形で、とてもきれいだ。(”真っ白”と思っていた雪も黄砂の影響か、所々が薄茶色になっていた。)
 今年の鐘上げは、支柱の前に大きな雪の塊(エビの尻尾)があり、そこに脚立を立て鐘をセットすることができた。証拠写真を撮り小屋に戻り昼食。外は風が冷たく寒いが、中ではツヨミちゃん特製の温かいお汁をいただき、ほかほかに温まり賑やかな宴会となった。
 下山は、阿部さんはスィ~~っとスキーで、私たち4人は各自 シートを抱えて・・お楽しみの待つ場所へ。気温が上がり、雪が柔らかくなり思うようにスピードが出ないものの4人で大爆笑の尻セードとなった。いざ、尻セード・・しかし、シートだけ先行しそれを追いかけた人・・逆にシートが追い付がずお尻がびしょぬれになったり―。2ー3歩毎に雪に足をとられすべり転ぶ人・・様々だった。大笑いは健康にいいんだよねぇ~!などと勝手なことを言いながらの楽しい下山となった。
 私は毎年この”お楽しみ”の為に登ってるんじゃないか―と・・・。また1年後を今から楽しみにしています。
 皆さん、、お疲れ様でした、そして ありがとうございました。 (岩渕)


飯豊連峰を望む

上の写真は平成19年1月21日 下の写真は20年2月11日右の二枚の写真は同じ場所です。
 山頂の吊り鐘の支柱に付いた雪。

 巨大なエビの尻尾・・・・巨大モンスターですね。

 今シーズンがいかに雪が多かったか・・・。

 独標での積雪量、昨年は1.8m、今年は3mと

 まだまだたっぷりありました。


 ねずみ薬師 平成20年3月2日(日)

  参加者:遠藤、阿部、五十嵐、 大川原、高橋、渋谷(豊)、岩渕


干支の最初のねずみ年、「ねずみ薬師」への初登山は、旧下田村 漢学の里の奥の田んぼから歩き始めた。
 お天気にも恵まれ、真っ白な踏み跡のない雪の中をワカンをつけて、周りの景色を眺めながら気持ちよく歩くことができた。
下山時には木についたままの大きな「雪の中のきのこ」をたくさん見つけ、大喜び。ほど良い汗をかいた良い一日だった。 (五十嵐)